火の巻(23)
リセットする勇気
相手と自分がもつれあって
どうにもならないときは
一度リセットしましょう。
仕切り直しです。
これまでの思惑やこだわりを捨てます。
心機一転のタイミングをとらえて
新しく事を始めるんです。
「にっちもさっちもいかない」
と思ったときは、
考え方をリセットして
これまでとは違った方法に
切り替えるに限ります。
火の巻(23)
相手と自分がもつれあって
どうにもならないときは
一度リセットしましょう。
仕切り直しです。
これまでの思惑やこだわりを捨てます。
心機一転のタイミングをとらえて
新しく事を始めるんです。
「にっちもさっちもいかない」
と思ったときは、
考え方をリセットして
これまでとは違った方法に
切り替えるに限ります。
火の巻(24)
どうも。宮本武蔵です。
人とかかわり合う中で
ついつい細かいことにこだわって
心がもつれてしまうことがありますよね。
そんなときは、
「ネズミからウシへ」と考えます。
ネズミは小さな生き物です。
ウシは大きな生き物です。
つまり…
「ネズミからウシへ」とは、
ネズミの小さな頭から、
ウシの大きな頭に切り替える、
ということです。
目の前の小さなことに振り回されるのではなく、
世界がひっくり返るくらいの視野の大転換を
してみようじゃありませんか。
火の巻(25)
自分にとって
「敵」だと思うものさえ、
なんらかの意味で
「味方」となってくれます。
マイナスだと思う感情。
マイナスだと思う出来事。
それらを「敵」とするか「味方」とするかは
私たちの自由です。
火の巻(26)
宮本武蔵です。
きょうのテーマは「刀を手放す」です。
この言葉にはいろいろな意味が込められています。
刀がないと勝てないのでしょうか?
そんなことはありません。
刀があれば勝てるのでしょうか?
それも違います。
「刀を手放す」には深いニュアンスがあります。
文字ですべて書き尽くすことはできません。
「刀を手放す」という言葉を
ご自分の境遇にあてはめて頂くと、
みなさんそれぞれで、
お気づきになることがあると思います。
火の巻(27)
巌(いわお)の身という言葉があります。
これは、大きな岩のように、
強く固くなることです。
いかなるものにも邪魔されず、
いかなるものにも動じない。
そんなあり方です。
文字で伝えられることではないので、
詳しくは口で伝えますね。
火の巻(28)
以上が火の巻です。
思いついたことを、思いつくまま書きとめてみました。
こうして文字にするのもはじめてのことでしたので、前後関係がちょっと変だったり、多少いたらない部分もあったかも知れません。
とはいえ、わが流派を学ぼうとする皆様にとっては、よき道しるべになる内容だと思っています。
私は若い頃から武芸を志して、剣術も一通りマスターしてきました。
体のあり方、心のあり方も習得したつもりです。
ほかの流派も勉強しました。
しかしなんといいますか…
中には、口先だけ、小手先だけで見栄えをよくしている流派もあります。
そこには真実の心がないように感じます。
その小さなひずみは、やがて大きなひずみになります。
まっすぐに進んでこそ、目的は達成できます。
私たちは、本来の目的がなんであるかをいつも見失わないようにしたいものですね。
宮本武蔵です。
世の中には、わが流派のほかにも、
いろいろな流派があります。
この巻では、
ほかのいろいろな流派について
触れてみようと思います。
他流を知ってこそ、自分流が確立できます。
さて。
ほかの流派には、どんなものがあるでしょう。
長い刀で戦うことを
売りにしている流派もあれば、
短い刀で戦うことを
売りにしている流派もあります。
または…
2人一組で練習するときの
バリエーションの多さを売りにしている流派もあります。
でも…
私から言わせて頂くと、
これらの流派は、どれも真実の道ではありません。
武芸を「飯のタネ」「売り物」と考えています。
世間へのウケがいいように、飾り立てているだけです。
刀の振り方、身のこなし方など、
細かいテクニックのほかに、
もっと大切なものがあるはずです。
この巻では、
わが流派とほかの流派のちがいに注目します。
そうすることで、
わが流派の特徴をよりハッキリと
お伝えできれば幸いです。
では、「風の巻」のはじまりです!
よろしくお付き合いください。
風の巻(1)
「刀は長いほどいい」
という流派があります。
私に言わせて頂くと、
それは弱い流派です。
その流派の
一体なにがいけないのか?
長い刀がダメなわけではありません。
長い刀さえあれば勝てるという、
片寄った考え方がダメなのです。
敵と組み合うほどの接近戦では、
長い刀は役に立ちません。
短い刀や素手のほうが、
ずっと役に立ちます。
狭い場所で戦うときも
同じです。
長い刀だと、
満足に振ることさえできません。
けっして
長い刀がいけないのではありません。
長い刀にむやみにこだわる気持ちが
いけないのです。
風の巻(2)
刀を振るとき…
力ずくで斬ろうとしても
うまくいきません。
荒々しいだけでは、
勝てないのです。
それなら、
やさしく斬ればいいのでしょうか。
それもちょっと違います。
実際の戦いでは、
強く斬ればいいわけでも、
やさしく斬ればいいわけでもありません。
では、どう斬ればいいのか。
ずばり、
「勝てるように斬る」
これです。
強く斬ること、やさしく斬ることが
大切なのではありません。
「勝つこと」が本来の目的です。
いつでも本来の目的を
見失わないようにしたいものです。
***
自分は強くあるべきだ…
自分はやさしくあるべきだ…
そんなふうに感じることが
あるかもしれません。
そんなときは、
なぜそう思うのかを
感じてみてください。
強くあることが
目的ではないはずです。
やさしくあることが
目的ではないはずです。
強い自分になることで、
やさしい自分になることで、
本当に手に入れたいものがあるはずです。
風の巻(3)
以前、「刀は長ければいいというものではない」という話をさせていただきました。
だからといって、短ければいいというわけでもありません。
短い刀で勝つことにこだわる人は、
刀の短さを活かして敵の隙をついてやる!とか、
接近戦で優位に立ってやる!と考えがちです。
そういうのは、良くありません。
第一、敵の隙をさぐる姿勢は、すでに主導権を奪われていることになります。
受け身では勝てないのです。
一般的に刀の練習をするときは、受けたり、かわしたり、抜けたり、くぐったりします。
でも、そうした受け身の姿勢に引きずられるのは良くありません。
小手先でどうにかしようとするのではなく、
まっすぐ、正しく、堂々とした気持ちで臨みたいものですね。
風の巻(4)
流派によっては、刀の振り方のバリエーションをわざと多くして弟子たちに伝えるところもあります。
これは武芸を売り物として華やかにするためです。
バリエーションが多いほど世間から「すごい!」と思ってもらえます。
でも…
実際のところ、斬り方にそれほど多くの種類があるわけではありません。
「斬り方にはいろいろある」と思うのは、心の迷いがあるからです。
打ち、叩き、斬る。その方法に多くの種類はありません。
変わったところでは、「突く」や「なぎ払う」があるくらいです。
あまり小手先のワザを駆使しても、うまく斬れません。
心も体もまっすぐに。これがわが流派です。
風の巻(5)
ほかの流派では、刀の構えにこだわるところもあります。
でも、それは良くありません。
よく「城を構える」とか「陣を構える」という言い方をしますよね。
ここからもわかるように、
構えとは、仕掛けられても動じないためのものです。
つまり…
構えとは、仕掛けられるのを待つ姿勢。
いわば受け身なんです。
勝負では何事も先手、先手を心掛けます。
構えるという受け身の姿勢は、それに反します。
わが流派では、構えという受け身の姿勢にこだわることをきらいます。
つまり「構えあって構えなし」です。
宮本武蔵の五輪書。今回は、風の巻(7)です。
足運びにこだわる流派もあります。
浮き足、飛び足、跳ね足、踏み詰め足、カラス足など。
さまざまな素早い足運びを身に付けようという流派です。
私から言わせていただくと…
素早い足運びにばかりこだわるのは間違っています。
まず浮き足。これはダメです。戦いになるとどうしても浮き足立つものですから、むしろしっかりとした足取りを心掛けたいものです。
飛び足。これもダメです。飛ぶことに気を取られると、ろくなことになりません。そもそも、戦いの最中に何回も飛んでる場合じゃありません。
跳ね足。これもダメです。跳ねよう、跳ねよう、という気持ちで戦って勝てるわけがありません。
踏み詰め足。これは待ちの姿勢なので、とくにダメです。
そのほかにも、カラス足など、いろいろな素早い足運びがあります。
でも、沼地、湿地、山、川、石原、細道など、場所によっては素早く歩けないところもあります。
わが流派では、これといって素早い足運びをするわけではありません。
普通でいいんです。むやみに急がないことです。大事なのはタイミングです。
きょうは風の巻(8)の現代語訳です。
速さにこだわる流派もあります。
それは間違いです。
速ければいいというものではありません。
そもそも「速い」とは、ものごとのタイミングが合っていないから「速い」といいます。
達人がすることは、タイミングが合っています。
だから、むやみに速くは見えないものなんです。
*****
よく「速きはこける」といいます。
速さにこだわると、うまくいかないことが多いです。
かといって、遅いのも良くありません。
速くもなく、遅くもなく。
周囲の流れにタイミングが合っていることが大事です。
達人のすることは、けっして忙しく見えないものです。
むしろ、ゆったりしています。
それでいて、間延びはしていません。
*****
刀を扱うとき…
速く斬ろうとすれば、何も斬れません。
急ぐ気持ちは、禁物です。
以前、「枕をおさえる」というお話をさせていただきました。
そのくらいの心持ちで十分です。
*****
相手がむやみに「速い」タイプのときは、どうしたらいいでしょう。
そんなときは…
こちらはあえて静かになって、相手のペースにひきずられないようにしましょう。
これを「そむく」といいます。
以上のようなことを、日ごろから意識していきたいですね。
いつもブログを読んでくださってありがとうございます。きょうは風の巻(9)です。
ほかの流派では、奥と表を区別することがあります。
奥とは、奥義・秘伝のこと。
表とは、初心者向けのワザ、ひろくオープンにされているワザのことです。
でも、実際に敵と戦うとき…
「初心者向けのワザで戦おう!」とか「奥義・秘伝のワザで戦おう!」
などと考えている暇はありません。
だから、この区別にはあまり意味がないんです。
わたしの流派では、初心者にはつぎのように指導しています。
まず、その人の得意なところ、理解しやすいところを身に付けていただきます。
そして、理解が深まったのを見て、だんだんと深い部分を伝授していきます。
奥だの表だのと、もったいぶった区別はしません。
山を思い浮かべて下さい。
山の奥へ奥へと進むと、いつの間にか、表(ふもと)に戻っていることがあります。
奥は表に通じます。
表は奥に通じます。
区別できるものではありません。
奥も表もなく、まっすぐな道を、まっすぐに伝授する。
それを心掛けています。
今回は「風の巻」の最後に載っている「あとがき」の現代語訳です。
宮本武蔵です。
この風の巻では、9か条にわけて他流のことを書いてきました。
それぞれの流派の内容は、人のとらえ方や考え方によって変わってきますから、どの流派がどうだとか、実名を出すのは止めておきました。
ほかの流派を見ると、刀の長さにこだわる流派だったり、短い刀で勝とうとする流派だったり、力強さにこだわる流派だったりと…
どれも片寄った考え方です。
わたしの流派では、そのようなことがないようにしています。
もったいぶった奥義もありません。
これが絶対オススメという、決まった構えもありません。
心を込めて、体で覚える。それだけです。
『五輪書』の最終章は「空の巻」です。今回は、空の巻(1)の現代語訳です。
最後に、私の流派についてあらためてお話させていただきます。
私の流派は、二天一流(二刀一流)といいます。
この章のタイトルは「空の巻」です。
空(くう)とは、なにもないことです。
ものごとが「ある」ことを知って初めて、「ない」ことがわかる。
それが空(くう)です。
世間一般では、無知であったり、どうしていいかわからない状態のことを空(くう)ということがあります。
でも、それは違います。
迷わず、怠らず精進してはじめて空(くう)に近づけます。
精神や気持ちを磨き、「観」と「見」の目を養います。
そうすることで、少しの迷いもなく心が晴れ渡ったとき、空(くう)の境地に達します。
本当の空(くう)を知らないうちは、自分では「これが正しい!」と思っていても、どこか間違っているかも知れません。
まっすぐな気持ちを基本とし、真心を大切にしながら、「道」を歩んで行きたいですね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。『五輪書』の現代語訳。最後は、空の巻(2)です。
空(くう)は「道」です。
「道」は空(くう)です。
空(くう)には善があります。
悪はありません。
智恵があり、理(ことわり)があり、「道」があり…
人の心は空(くう)となります。
以上で『五輪書』を終わります。宮本武蔵でした。